覚醒への道 (インドにて)②

南インドにあるワンネス・ユニバーシティでの合宿生活は、私にとっては快適です。
ホットシャワーが使えるし、ダイニングでは一日三食おいしいベジタリアンカレー、ヨーグルト、フルーツなどがたらふくいただけます。
大きな部屋に15人は入るでしょうか、それぞれベッドや収納があります。コース中は休みなく朝から晩までクラスがあり、週に一度軽い断食があります。洗濯機はありませんので、クリーニングを頼むか自力洗濯で、今回初めて手に絞りマメができましたが、インドの山生活に比べたら大変過ごしやすいと感じます。
今回は日本人だけの部屋でした。エアコンの温度ひとつとっても各国民で過ごし方が違いますので、楽だったかもしれません。

さて、コースが始まりました。そして日々自分の内側を観ていくうちに、覚醒したいという思いの裏側にある「人に認められたい」「人より上に立ちたい」という自分の姿が浮き彫りになってきました。所詮その程度なのか・・・と大変落ち込みました。
しかしもっと観ていくと、それでも覚醒したい、解脱したいという純粋な思いがありました。それは生まれた時から自分の中に在るどうしようもない孤独感、分離感、大いなるものから引き離された悲しみのようなものを何とかしたいという思いとも重なっていました。


週に一度、聖者バガヴァンとのダルシャンがあります。直接質問に答えていただけて一緒に瞑想することができます。
私は思い切ってその分離感やどうしても覚醒したいという思いについて質問してみようと思いました。コースには各国100人近くの人が参加しており質問が取り上げられるかはわかりません。私は一番後の列にいました。
ダルシャンの最後の方に、私の名前が呼び上げられ、バカヴァンに立ち上って挨拶しました。
彼は、こちらを見てにこりと目が合った時、「この人は私のすべてを知っている」と直感しました。
全知全能だという感覚がありました。まるで生まれる前から私を既に知っているかのようでした。
質問の答えはシンプルでした。
「あなたは候補者の一人ですから、私が覚醒させます!」 その場にいる全員が息をのんで私を一斉に振り向いてみているのがわかりました。しーんとして時が止まったかのようでした。
私はバカみたいにガッツポーズをして「サンキュー!!」と叫びその後涙を流すことしかできませんでした・・・・・。とうとう私の願いは叶うのでしょうか・・・!

その後、バカヴァンとの瞑想がありました。
ダーサジ(ワンネスの僧の呼び名)がその瞑想の時に自分が得たいものを視覚化してください、それは実現に向かいます、というので、私はやる気まんまんで、次の家のことや仕事の展開やパートナーとか、克明に思い浮かべるつもりでした。

ところが、さあ、瞑想が始った途端、いっさい何も浮かんできません。全くの空白です。次第に私のマインド(思考)はあせってきました。「瞑想の時間が終わってしまうのに!」
その時です。胸に向かって強烈なエネルギーが入ってきました。
さっきのバカヴァンです。
目が合った時の慈しみのまなざし、それは私の存在すべてを受け容れ無条件に愛するエネルギーでまっすぐと私に届きました。そしてあの言葉は私に化学反応を起こす言葉でした。
何を私にもたらすかよく知っていてかけられた言葉でした。
それが一瞬で理解できました。
この人は私を100%わかっている・・・・どうしようもない状態の私を理解しそれでも愛している。
胸からその愛の光が爆発していきました。
なんとも言いようのない、至福な状態です。
「私がこの人生でずっとずっと望んできたもの、渇望し得られず、ずっとずっと苦しんできたもの、それは「愛」以外の何ものでもなかったんだ」「愛しかなかったんだーーーー!(叫び)」
ですから、物質的な家とか人はいっさい浮かんでこなかったわけです・・・。
そして「今度はあなたが伝えなさい」とバカヴァンが言います。
涙と感動のうちに瞑想が終わりました。

ところが、感動がおさまり、思考が働いてくると「かといって私はまだ覚醒もしてない、愛のない状態の私がどうやってそんなことができるのか?それに覚醒だっていつできるのというのか・・・」などと考え始めました。
まわりの人はもう私が覚醒したかのように喜んだりはハグしたりしてくれたのですが、まだ得てもいないし、どうなるかわかりゃしない・・・・と思うと不安になりだんだん歩く足取りが重くなっていくのでした・・・・。

その後、すぐテンプルで儀式と瞑想でした。
瞑想で、地球を遠くからみていました。
バカヴァンが私の不安を見透かしたかのようにいいました。
「それはすでに計画されたことだ」
ですから、私の知ったことじゃないのです。
いつ覚醒できるかは、神々だけが知っている。そして私は知る必要もなく、ただ委ねるだけでいいのです。

とはいっても・・・目覚めていないから思考と不安の嵐です。
ここでどのくらい委ねられるかためされていると思いました。小さな自己ではなく大いなるものに委ねる、それを実践することは想像以上に苦しく大変なことでした・・・。(続く)