覚醒への道 (インドにて)③

私がワンネス・ユニバーシティの好きなところは各国からいろんな人が集まってくる面白さです。今回も欧米、アジア、北欧、南米・・・二十カ国くらいからの参加者が老若男女構わず一緒に同じクラスを受けて過ごします。個性豊かな仲間たちです。
言葉は通じなくても共に笑ったり泣いたり・・・それは素晴らしい時間でした。
みんな私に大切なものを教えてくれる先生たちでした。


その中でも印象深かったニュージーランドから来たリサの話をします。


初日の書類を提出したりお金を支払う受付の時です。人で室内がごったがえしています。何と手違いで私の名前は申し込み名簿にありませんでした!
キャサリン(受付の女性)が困って日本担当者に連絡しますが通じません。パソコンを渡され自分のメールアドレスを入力するようにと言われました。検索をかけるためです。メールアドレスを打ちましたがうまく入りません。
時間は経過するしまわりは自分のことで精一杯、焦って誰かやり方を教えてくれないかと若い外人女性に声をかけますが、「忙しいの」と言われてしまいます。
すると50代くらいの背の高い西洋人女性が「どれどれ?」と見てくれました。結局うまくいかず、もう一人の受付の男性に御願いして無事受付をすますことができましたが、これがリサとの最初の出会いです。


数日後、初のダルシャン(バガヴァンとの会見)がありました。テンプルに行く時は白い服を着るようにいわれていたのであわてて着替えてくる人が多かったのです。
テンプルに向かうバスの隣りに席に座ったのがリサです。
買ったばかりのインドのズボンでまだヒモが通っていません。早くしなきゃ!というので私がゴム通しを手伝いました、テンプルに着くまで無事貫通しました。
私は少し恩返しできたような思いでした。
そんなわけでクラスの中でもリサ(この時は名前を知らなかった)が何となく目に入るようになりました。

リサはすぐ行動します。
インド人のおばさんがバスに乗ってくるとすぐ席を立って譲っています。みんなのために椅子をさっと片付けたり、人に手を借したり、具合の悪い人に寄り添ったり、それがリサなのです。


その日は「自分に愛がないこと」を内観する日でした。
儀式でそのことを瞑想した後に自分のタイミングでシュリムリティ(写真)からディクシャを受けます。
私は瞑想は深くありませんでした、「確かに愛はないなあ・・・」くらいの表面的な見方しか出てこなくて、そのままシュリムリティからディクシャを受けに行こうとと思いました。
すると瞑想の中でバカヴァンが「100回げっぷをしてから行きなさい」と言ってきました。
エネルギーが上ってるとげっぷが出やすくなるので、わけがわかりませんが、その通りに100回げっぷ!をしてからシュリムリティのところへ行きました。
すると人が並んでいて私はリサのすぐ後ろでした。
その時、横の方でシュリムリティからディクシャを受けていた太った女性が倒れました。

シュリムリティからのエネルギーが強いので倒れることは珍しくありません。
私は、ダーサジ(僧)にその時は起こしたりせずそのままにしておいて下さいと言われていたしなあ・・と思って、自分の順番の方が気になり、倒れた人を見ていましたが動く気持ちになりませんでした。
ところがリサはすぐダーサジを呼びに飛んでいき、太った女性を介抱しようとします。

彼女には自分のことより人のことなのです。
と同時に私の中ではマインドが働いて、私も加わった方がよいかな、と介抱に加わりましたが、それは雲泥の差でした。

人を心から助けたくて行動するリサと、マインドの計算で「人としてこのあたりが無難かな」と行動する私。
私は愛のない自分をしっかりと体験しました。
その後、シュリムリティからディクシャを受けましたが、バガヴァンが「これがあなたの真実なのだ」とはっきり言いました。
私は自分の情けなさと愛のない悲しみで喉がさけるくらいただただ号泣してひれ伏しました。
このような状態を味わったら神様に「私を愛のある人間にしてください!」助けを求めるしかありませんでした。
こんな自分のままでこれからの人生どうやって生きていけるのだろうと思いました。
悲惨ですが、これは大きな体験となりました。
これまでは自分を普通に愛のある人間だと勘違いしてきたのですから・・・真実をみることはとても大切なのです。

私はリサの存在に心から感謝しました。
いつか機会があったらリサにありがとうを言いたいと思いました・・・・。ところが、4週はあっというまで、プロセスにいっぱいいっぱいな時が多く話しかける機会を得られないままコースは終わってしまいました。

神様はすごいです。出発日の朝、私は一人朝食をとっていました。するとリサが一人で来て広いダイニングにかかわらず、ひとつ目の前のテーブルに座りました。いつも誰かと一緒でなかなか声がかけにくいのですがこの日は一人です。「あ、チャンスかも」と思っていると、彼女は何を思ったか、私の隣りに急に席を移動したのです。

話しかけるタイミングをうかがっていると、同じテーブルにいたマレーシアの人が一緒に写真を撮ろうといって私たちは写真を撮ることになりました。
私は席に座ろうとするリサに言いました。
「私はあなたの名前がリサということを知っているの」(私たちは自己紹介もしたことがなかったし人が呼ぶのを聞いて覚えただけでした)
というともう涙があふれて何も言えなくなっていました。
泣きながら必死で「このコースであなたの存在は大きかった。いつも人を助ける姿をみていました。あなたは慈愛にあふれている素晴しい人です、私に教えてくれてありがとう!」と拙い英語で伝えました。
彼女は「OH〜!」と目を丸くしてしばらく感動していました。
「実は、やりすぎて時には自分を傷つけてしまうこともあったのよ・・・・・」
「私たちみんなに新しい、素晴しい時代が来ることは間違いないわよ!」
再び私たちは写真を撮りあい、何度もハグしました。
コースの始まりに出会えて終わりに出会えて、信じられませんでした。


彼女はニュージーランドクライストチャーチ地震で神の名を唱えたら壁がそこだけ崩れずに助かった人でした。
ダーサジは、人間関係が整い、神とつながっている人は助けてもらいやすいと言っていましたが、彼女ならそうなのだろうと感じました。

神様は必要な人たちを必要なところで出会えるようにしていてくれている。
家族や友達・・・それは私たちの普通の人生や生活においてもそうなのだ、と確信しました。
そしてそれは宝物なのです。