覚醒への道 (インドにて)④

私はよく知りませんでしたが、ワンネス・ユニバーシティでは覚醒には「5つの条件」をクリアしなければなりません。

私はコース中にクンダリーニが今までになく完全覚醒して太く通ったことや場所のエネルギーが良いことも重なってか、様々なインスピレーションが降りるようになっていました。
不思議と同じ部屋のみんな(日本人だけの部屋で10人くらいでした)が私が夢にでてきたといいます。
千葉さんと空を飛んだ、とか、パン屋で私が裸になっており、自分も服を脱がされた、とか、覚醒して髪の毛が金髪になっていた、など。
楽しくて私も感じたメッセージをどんどん伝えるようにしていました。
次第に至福の気持ちも増してきてマインドも静かで「もしかしてもう覚醒したのか」とも思いましたが、何か足りないことは漠然と感じていました。

何と最終日から2日目にその覚醒の5つの条件の話があり、私は愕然としました。
毎日瞑想の中でのことや自分の変化を日記につけていたので4つの条件は早々クリアしていました。
ところが、クリアしていない条件がただひとつ残っていたのです!
これが物足りない原因だったのでしょう。
それはブッダやキリストのような救済者がいる世界に入れることです。
そこは真剣に人類を助けようとする者だけが入れる場所なのです。
私がそこに入れない理由は自分ですぐにわかり、胸を鋭いナイフで突き刺されたかのようでした。
そう、私は自分の覚醒のことばかり考えており、他の仲間の覚醒のことは全く頭にありませんでした。
表向きはともかく心からみんなのことを考えてはいないことは明らかでした。
この時も本気でうなだれました。結局まだ自分のことしか考えていないのか、と・・・もうだめだと思いました。

それからテンプルでの儀式と瞑想がありました。
未来のビジョンをみました。世界が素晴しく変っていくことも。日本から何かが広がることも。自分の未来や役割もみました。
その時、ふと部屋のみんなの顔が浮かんできました。
私を助けてくれてきたみんなの顔。
沈黙を守るようにはしていましたが、時折みんなで言葉をかわし、まるで旧知の仲のように感じてきました。
優しい暖かいエネルギー・・・・。
このひと月、乗り切ってこられたのもみんながさりげなく自分を支えてくれていたからです。
覚醒までいきそうでいけない時に、メッセージが降りてきたからと夜中の3時に起きて私のためにディクシャしてくれた方もいたのです。
そして強烈な感謝の感情が体に湧きあがりました。
「みんなを一緒に覚醒させてください!神様御願いします!」みんなの覚醒や神実現を心から叫ぶように祈りました。
その瞬間!
私の体は遠い遠いところにある強烈な光に一気に吸いこまれていきました。


それは今だかつて味わったことのない歓喜の世界でした。
もう感動と歓喜と至福でただただ泣きさけぶしかありません。
まぶしくて顔も上げられず、ブッダやキリストやヨガの聖者たちがいて、私はありがたさにひれ伏して号泣していました。
私が過去生で教会にいた映像や大きな寺院で大勢で修行している僧の姿がみえました。
気がつくと私が祈る時に聖なる存在にイメージしていたユクテスワという偉大なヨガの聖者の足が目の前にありました。
私は足もとにひれ伏し、拝むために彼の足に触れると、体に電流が鋭くびりびり走りました。彼は「あなたが私を呼んでいたことは知っていたよ」と私の頭をなでました。

今、いまいち神々の存在の実感がない、という方もいるかもしれませんが、私もそうでした。
今回のことで、神々は私たちをしっかり見てくれているのだ、とわかりました。

私が心根を変えた瞬間を神様も待ちのぞんでいたのでしょう。

今年2月のトレーナーコースから帰る時、私は日本担当のキランさんに「またきます」という言葉が自然と出ました。そして再び行かなくてはならない気がしていました。タロットで行くべき月を占うとどの月でもOKと出ます。
バカヴァンが「いつでも来なさい」と言っているようでした。ひと月の休みを作るハードルは高いのに、何もかも整っていきました。

そして今回、最後4回目のダルシャンの後、「もう実際のバカヴァンと会うのは最後だ」と感じました。ここに来ることももしかしたら最後なのかもしれないと・・・・・。
そして、テンプルでの瞑想で大きな写真のバカヴァンの目を見ていました。「贈物をあげよう」と彼が言います。「覚醒ですか?」と私が聞きます。違うようです。ヴィジョンが浮かびそれは私が待ち望む出会いのようでした。
コースでひとつの名字が降りて来ているので、もしかしたらその方かもしれません。
そしてバガヴァンが「さあ、もう行きなさい」と言います。「与えるものは全部与えたから前進しなさい」と。

私にとってこのひと月は生まれ変わりのようでした。
自分の人生を振り返り、自らのエゴをまざまざと見た時には地獄の思いも味わいましたが、同時にそれは祝福でもありました。
バカヴァンのところから去りがたい気持ちで達成感と同時に寂しさが胸に広がります。

でも飛立っていかなければなりません。