覚醒への道(インドにて)⑤

私がインドで覚醒という贈り物以上に得た宝物がたくさんあります。


コースでは「自分の人生を振り返る」ことをあらゆる項目から行ってきました。臨終の時、人は自己の人生を走馬灯のように振り返るといいます。それを今行うというのです。
けれども、自分の立場で振り返るのではありません、ほかの人たちの立場で振り返るのです。
私は両親や姉や、祖父母の気持ち、子供たちの気持ち、別れた夫の気持ち・・・・人生で関わった様々な人たちの感情のすべてをこの胸にリアルに感じることができました。私との関わりで生じた愛しさ、悲しさ、寂しさ、苦しい気持ち、心配してくれてきたこと、つらかったこと・・・全部がハートに入って来た時、私は家族や友人たちすべてに私が彼らをないがしろにしてきたことを謝りたいと願い、そしてそれでも私を関わり続けてくれている彼らにはもう感謝の気持ちしかありませんでした。
日本に戻ったらまず家族と会いたい!愛しいみんなに会いたい!と思いました。実家に行くと、母に泣いて謝りました。父母が私に費やした労苦をしっかり味わいましたらそれしかありません。他界した父には直接思いは伝えられませんが、仏前で感謝しました。母は涙し「そんなことは何でもない」といい、「生きていてよかった」と喜んでくれました。そんなことひとつで親というのは幸せを感じることができる、そのような偉大な存在なのです。
仙台で中学時代から青春を共に過ごした友人たちの顔も急に見たくなりました、遠いこともあってずっと疎遠になっていたのです。迷惑をかけた高校3年の担任の先生にも直接会って謝りたくなりました。


過去は忘れているようですべてしっかりと私の中にありました。自分の行いを消すことはできません。つらい過去も楽しい過去も消しゴムのように消すことはできません。封印しても意識や体の中にしっかりと残って私たちに作用を及ぼし続けています。それが障害となってあらわれることがあります。ここで苦しい過去こそが、本当の意味で消化され昇華した時に宝物に変わることを感じました。私たちは10年前の出来事ですら、いまだに苦しむことが可能なのですから、重い荷物をしょって人生を歩いているようなものです。それを向き合うことで手放す必要があります。ディクシャはそれを助けてくれます。そして人生が円滑になります。


これから出来る限り、いろんな人たちに会って直接ありがとうをいえたらよいなと思っています。
かつてのバンドやってた友達にも思わずメールしてしまいました。かなり昔、彼が東京に引っ越す時、本気で悲しかったのですが、泣くことをがまんしてしてしまいました。そう、私はいつも泣くことをがまんして生きてきたのです。「泣くものか、負けるものか」と力を入れて無理して生きてきたのです。もう、人前で泣くことも恥ずかしくなくなりました。「その時の感情を今解放して泣いてます!サンキュー!」とメールしたら彼は私が本気でぶっ壊れたことを喜んでくれました。昔エキサイトしてスタジオの機材を壊し弁償したことが懐かしいです。そう、私たちは既存の自分自身をぶっ壊したかったんだ、これから私は別の形で、息苦しい世の中をぶっ壊すことができたら本望です。

・・・・とそんなわけで、私がいかにたくさんの人たちに支えられてきたか心から実感できたこと、私たちが共に生きる意味をしっかり自分の中にとらえられたことは生涯の宝となりました。
感謝はできている、とたかをくくってきましたが、本当の意味で相手の痛みを知ることが私に真の謙虚さや感謝をもたらしてくれたのだと思います。