サントボームの洞窟

「サントボームの洞窟」は今回の旅の、ある意味山場だった!
マグダラのマリアがサントマリー・デ・ラ・メールの海岸の辿り着いた後に晩年瞑想して過ごした洞窟。


裸身に長い髪の毛をまとい・・・30年くらいそこで瞑想して過ごしていたという話です。
たぶん最後の方は霊化して肉体があって肉体ではないような、状態だったのでしょう。


田舎道を山へ山へとバスは行き、麓から一時間も登ったかな。


山はどこの山も好き。
国によって質感が違うけど。
大地の神様。
山と話をしながら歩く。


山の教会の入り口には磔(はりつけ)の刑の等身大の像があった。
キリストとあと二人。(ごめん、どなただかわかりません)
東京タワーの蝋人形みたいなイメージです。
磔(はりつけ)っていうけど、よく見ると超生々しいよう。
手にクギ貫通じゃん??もちろん血がダラダラ。
しかもそれに体重がかかるわけで・・・・。(卒倒)
それでも「無知な彼らをお赦し下さい」と願う姿。
もちろん、肉体レベルなんて完全に脱しているのだろう。
やっぱここまでならなきゃあかん!と変に決意する。
虫歯の痛みでパニックになっとる場合ではない。


教会に辿り着いた時、ちょうど私の前後には人がいなかった。
ひとりドアを開けて暗い洞窟に入ると・・・・・。
「これはかなりヤバイ!」と思った。
ここにいたくない、というか、後ずさりしたい気持ち。
息が苦しい、胸も苦しい。
登山してきたから急にこんな体調になったのかとあせる。
ぶっ倒れてしまうのか、いやいや、まず自分に落ち着くように言い聞かせる。
呼吸を深く・・・。
(あとで聞いたら同じような感じになった人が数人おりました)

しばらくして何とか落ち着いてきた。
地下に降りていくところがあるけど、特にそこは行きたくない気持ちがするのさ。
そうは言っても、せっかく来たから、と中をひととおりまわってから、椅子に腰掛けて目を閉じる。
しばらくマグダラのマリアを思う。

すると仏教の四無量心(慈・悲・喜・捨)のことばがすっと降りてきた。
「一切の衆生が苦しみと苦しみの因から解放されますように。安楽と安楽の因を持つようになりますように。苦しみなき安楽と不離でありますように」
繰り返し、繰り返し。
これこそがマグダラのマリアの慈悲の祈りだと感じました。

洞窟で写真は撮れなかった。
撮る気持ちになれなかったしカメラも変だった。


でも、山はどこまでもすがすがしかったよ。