お久しぶりのブログでござる

おっと、あってはならない、何年ぶりかの更新!
ご無沙汰しておりました。

なぜかわかりません。
私は今、ふたつのお店に運営・参加しています。
ひとつは函南町にある伊豆コピエという施設で「KAI」http://ameblo.jp/7therapists-kai/entry-11597417508.htmlという名前で小さな占いやヒーリングなどの空間を、沼津駅ビルアントレの中にはアントレ「KAI」http://kai-relax.digi2.jp/として同様に占いやボディケア、ヒーリング、アロマトリートメントやネイルなど、何人かでお店を共同運営している形です。

従来の経営者と従業員、ではなく、同量のエネルギーを出し合う形で、何とかうまく経営がいかないかと試行錯誤している最中です。そこにはできるだけ規則はなく、お互いに補えるものを補う形。
これからの社会はきっとみんなで分かち合う社会になるという確信があり、そこに近づくチャレンジをやってみようと思うことのひとつの表れで、私にとっては利益も含め、みんなのエネルギーをひとつにして循環させることが目的です。

そしてその試みがうまくいって、そのような空間は誰もが安らぎますから、あちこちにそのうまく循環しているエネルギーを分かち合えたらいいなあ・・・と夢みています。

伊豆コピエは田んぼの中にあり、富士山も見えて、気のよい場所に建てられています。ブラックシリカという石が敷き詰められているそうで、電磁波もカットするのでパソコンがうまく繋がりません(笑)
「おばちゃんちの台所」という食堂もありますが、自然食でおいしいでーす。
一方、アントレは駅ビルですから、いろんな人たちの往来があります。ただご存知の通り、以前のような華やかさは完全に失われています。沼津という街を何とかできないかしら、なんて話していて沼津市のイベントに出展したところ、お話が来て早速やらせていただくことになりました。これも何かの縁です。

流れのままに、ご縁が繋ぐままに。

来月には東伊豆にもみんなで何かできるような物件を見に行く予定です。

自分の中のテーマが新しい社会作りの種まき、失敗は覚悟、ということに完全にシフトしました。
私の得意なことは、ヨガだし、占いやオーラソーマを通してもその人の意識レベルの変容をどれだけ助けられるかということを目的としています、ほかのことが得意な人たちと手を組んでいくと、さらに面白い発見や気づきがあります。学びもあります。
ただ、そこを生く、行くのでした!

武道家 青木宏之先生とわの舞の千賀先生との対面!

先日、「ガイアの法則」の千賀一生先生の講習に神奈川へ出かけた時のことです。
急に武道家青木宏之先生がお見えになるとお知らせがありましたが、私は青木先生がどのような方か全く知りませんでした。
話では世界的に有名な「新体道」の創始者で手を触れずに相手を倒すという凄い方で著書もあるようです。
なぜその方がわの舞にお見えになるかというと、「新体道で実現しようとしていたことと同じことを行っておられる方がいる、私が実現できなかったことを実現してくれている方がいる」という認識で、わの舞や千賀先生の著作に高い関心を持たれ、多くの誤解によって新体道が世に理解されてこなかったこともあり「45年ぶりに敵討ちをして貰っているような気になってしまいました」と千賀先生に直々に会いに来られることになったそうなのです。

現れたのは一見普通のおじさまです。年齢76歳ということは後で聞き驚きました。千賀先生と対面した瞬間、お二人の間にぐっと通じる何か電流のような感動的エネルギーを感じ、思わずもらい泣きしてしまいました。
青木先生が45年御苦労に御苦労を重ね、厳しい修行を経て得た世界観と、千賀先生が心を砕いて作り上げた世界観が同じ、たどりついたものが同じで、それは大げさなようですが私たち人類を解放する大きな流れのひとつだと私は思います。目の前で何か世紀のバトンタッチがされているような、そんな感覚でした。
聞くと青木先生の時代はスピリチュアルなことが理解される今よりもっと前のこと、人類本来の男女の在り方を説いたり、新たな武道の表現でも、先鋭を行くがために警察から目をつけられたり、あらゆる妨害に遭ったりしてこられたそうです。人生の終盤で思うこともいろいろおありなのでしょう、そこで千賀先生の存在を知り、本当に「やったー!」という万感の思いだったのではないでしょうか。

私たちは先生の前でわの舞を舞って、二人のお話の後に、青木先生が「それではご恩返しに」と真剣(本物の刀)による演武を行ってくれることになりました。
羽織はかまではなく、来られた普段の服装に帯を巻いて刀を差した姿で、音楽に合わせてそれは始りました。見た目にはおじさまが刀を持ち、舞うように動いています。
何だかわかりません!!涙が出て止まらなくなりました。
気づくと何人かの人は泣いています。号泣している人もいます。
わけがわかりません。
そう、そこには「何もない」のです!!
それは「絶対的な無」でした。
何もなさすぎてすごすぎて、もう声も出ません。
それからお話があって先生も帰られ、私たちは解散することになりましたが、私はすっかり意識がぶっ飛んでしまい思考が働かず、お仲間のふたりに両脇を支えてもらいながら駅へと歩きました。

それから3日も経ちますが、あの日のことを思い出すと、内側から何かが響いてきて意識が飛びそうになります。

私たちの肉体の可能性は計り知れない!
それを目の当たりにしました。
場を一変させるあのエネルギー、みんなの内側を一気に浄化したようなエネルギーを発することもできるのです。

私もあの「無我」の境地を肉体をもって表現したい。舞で、ヨーガで、あるいはただ、そこにいるだけで、そこまで表現してみたい、と憧れるばかりです。

そして「人類の解放」このとてつもなく大きなテーマにも、偉大なる先生方のお導きのもとに、自分なりに取り組んでいきたいです。

今日はうれしいことに沼津で「わの舞」練習会でした。人数は少なかったけれど、一緒に踊っていただいた皆さん、ありがとうございました。
これからも共に踊って踊って踊って!
喜びと共に生きていきましょうね!
喜びと共にあるのが本来の私たちなのですから!

覚醒からの道⑥

今回のコースでは、不思議な出来事が沢山起こりました。
その中でも一番信じられない出来事をお話したいと思います。

最終日、私は一人行動でしたが、帰りに寄ったワンネス・ユニバーシティからちょっと離れた場所にあるアンマ(女性の聖者)のお寺までは同室のメンバーたちと一緒でした。そして夜中のフライトではまた一緒になる予定でした。


帰りのフライトはバンコク乗り換えでしたが、搭乗するとほぼ満席なのに私の右隣りの席が空席です。私が通路側、窓側が空席です。
私の後ろの席は同室だったJ子さんという50代の関西の方でした。
ちょうどアンマのお寺で彼女のメッセージが来て伝えたいと思っていたのでラッキーでした。「これから人生が激変するから、もし恐れを感じても神様の言うことだけを信頼して飛び込むように」(はっきりわかりませんが離婚されるような感覚でした)後ろを振り返って伝えました。彼女は天界をクリアしたようで、「気持ちええとこへ行ってブッダや!と思ったら千葉さんやったわ」と笑っていました。ひと足先に私が着いていたのでしょうか・・・。 
私の隣りが空席なので「きっとこれから運命の人が来るんだよ〜」と冗談を言いあっていました。

さて、出発間際になって私たちの通路をはさんで飛行機中央の席にインド人の両親と女の子がすわっており、私の窓側が空席だとみると、「女の子をそこに座らせてくれないか」みたいなことを言うので、子供だから窓から外を見たいのだろうな、とOKしました。
髪の毛をひとつに後に三つ編みにして、額には赤い印をつけていました。
英語を流暢に話せて聡明なんだろうな、上流階級なんだろうなという印象です。
年齢は15歳、名前は「アクシア?」聞き直すと「アカシュア」のように聞こえました。

彼女が話しかけてきます。
「私は前からあなたのことはわかってたわ、人々とは違っていたから」
(空港の待合場所では坊主だから目立ったのだろうな)
ナガサキヒロシマ、悲惨な出来事が日本を襲ったけど、ついに新しいブッダがあらわれて日本を救うの」(映画かドラマの話かな、ミロク菩薩のことか?)
「日本と中国は近頃、なかなかいいのよ」(電化製品のこと?)
「私は世界のあらゆる国で起こっていることがわかるネットワークを持っているけど、あなたは?」(パソコンのソフトか何かでニュースがわかるってことかな?)
そして彼女もベジタリアンミールで二人で一緒に食べていましたが、ボール状のパンを「これはちょっとおかしいの」といってフォークを突き刺してコップの上に置きます。
(パンを知らないのかな?)
「タイで何かするんでしょう?」(先月行ったけど、今回はトランジットだけだよ、と答えました。)
彼女は本を持っており、英語の本で「OLIVERとなんとか」と書いてあったような気がしますが、白い服を来た人がイラストにあり聖書みたいな本かなとチラチラのぞきました。
私は英語力がイマイチでところどころを理解しています。

そんなこんなで食事が終わり、私はトイレに行った後うとうとします。しばらくしてアカシュアは私をまたいでどこかへ行きました。私は眠くなり両親のところへ帰ったのだろうと思いました。
私は夢をみてます。右側に神々のような暖かいエネルギーを感じ、心から幸せな気持ちです、そしてアームを上げて右側に倒れて神様に寄り掛かるように少し寝ました。ふと、「あ、あの娘が帰ってくるかも、」と思って起き上ると、あっという間でもう着陸のようでした。
インド人の両親のところをみると、両親は黙ってシートに座っていますが、あの娘はいません。あれ?と思って周囲をみてもあの娘はどこにもいません。両親は顔色ひとつ変えずに平然と座っておりその不自然さに何だろう??と思っていると、後ろのJ子さんが「ねえ、あの娘、いてないよね?どこいったん?」と聞いてきます。「私がトイレに行ったときはもういなかったん」と言います。「そうだねえ、どこにいるのかなあ」(バイバイくらい言いたいのに)
そしてすぐ着陸し、みんなが荷物を取り出して一斉に通路にぎっしり並びます。私とJ子さんが両親をみると、何と!!両親が席からこつ然と消えています。あの混雑をすり抜けるなど不可能です。J子さんがパニックで「なんなん?ありえへん!ありえへん!」と叫んでます。
私は何か起きたかようやく悟りました。あの娘とのいろんな会話がよみがえってきます。


あの娘はバガヴァンですべてメッセージでした。パンは地球をあらわし、フォークはシヴァ神などの持っている武器で三つの先端が愛、智慧、行動をあらわし煩悩を突き刺すのです。
「アクシャ」という名前は「アカーシャ」のことでサンスクリットで第五元素の「空」、ヨガの教典、ウパニシャッドではアートマンという「純粋意識」「宇宙意識」のことを言います。
日本から新しい文明が始まるということは、舞の考案者で作家の千賀先生や占星術の松村先生など多数の方が著作などでおっしゃっています。つらい歴史を乗り越え真の和を世界に広げることができるのは日本だろうと!
日本と中国に関しては目覚める人たちが増えているということではないのかと思いました。真意のわからないメッセージもありますが、私はあまりのことに毛布を被って声を出して泣きました。そして思い出すと、しょっちゅう斜め前の外人女性が私を振り返ってヘンな目でみていたのです。私とJ子さんだけにみえてほかの人にはみえていなかったのかもしれません。J子さんは神様の存在を確信する必要があったのはないでしょうか。私は空席に語り掛けているヘンな人だったのでしょう。


バンコクの空港ではJ子さんが同じフライトのメンバーに興奮して話しています。みんなはみじんも疑う様子もなく感動してくれて喜んでくれて、本当にそれはうれしかったです。


バンコクからの成田行きでは私の左側の席が空席でした。
出来すぎた話ですが、アンマ(女性の聖者)がいました!
夢うつつで手をつなぐと、意外にごつごつしていて見透かすように「私の手は労働者の手なのよ」といいます。
愛する人たちにごはんを作るから」
私はぎくっとしました。私は何人かの人に「食」にかかわる仕事をするなどと予言されているので。ほんとに愛に満ちたらそんなこともするようになるのでしょうか。
トイレに立った時、日本に帰る仲間たちはすやすやみんな眠っていました。まるでアンマのエネルギーに包まれているように感じました。
後でたずねると「いつもは辛い飛行機がまったく辛くなかった」「安らいでいた」と言っていました。


私は内側に二人を連れて日本に来た、大げさですが、そのような感覚です。
実は帰りのインドのホテルで日本の住所を尋ねられた時、一切何も浮かんできませんでした。呆然とした後に手帳をみてようやく思いだすことができました。成田空港ではおにぎりを買おうとしてお金の使い方も忘れていました。これをあれと交換するのだ、と言い聞かせて一所懸命買いました。これまでの概念がすっかり壊されてしまったことを感じました。そしてすべての人が愛おしくてたまりません。バスや電車に乗っても子供のようにただうれしくてはしゃぎたくなります。隣の人にも話しかけたくてしょうがありません。帰ってあまりの寒さにお風呂を湧かしましたが入った時、「これがお風呂というんだ」という言葉がでてきました。これまで真の意味でお風呂を味わってこなかったのかもしれません。このようにただの変な人として生きていけるか不安がありますが、神の導き通りに進むしかありません。
そして帰ってきて、新しいチャレンジがさっそく来てます。
ダーサジ(僧)が言っていました、「覚醒はゴールではなく駅です」と。
ただの駅なのです、そしてすべての人の旅はずっとずっと・・・・続いていくのです。

それは誰しも同じですが、もし本気で今の世界を変えたかったら、みんなでこれまでの意識を捨てて目覚めていく必要があります。
意識が変容すると人に影響を与えることができます。人々の目覚めを助けることができます。
自分の心の平和が家族や友人、同僚に伝わる、誰との関係性においても不調和がなくなる、競争もエゴもなくなる・・・・それが世界が平和であることの原点となります。

みんなの力が必要です。
力を合わせることで、今は目覚めている人が珍しいかもしれませんが、そのうち目覚めていない人が珍しくなるでしょう。
今の苦しみに満ちた世界から、喜びの世界へと変るために。
共にころげて泣いて、そして笑っていきましょう

覚醒への道(インドにて)⑤

私がインドで覚醒という贈り物以上に得た宝物がたくさんあります。


コースでは「自分の人生を振り返る」ことをあらゆる項目から行ってきました。臨終の時、人は自己の人生を走馬灯のように振り返るといいます。それを今行うというのです。
けれども、自分の立場で振り返るのではありません、ほかの人たちの立場で振り返るのです。
私は両親や姉や、祖父母の気持ち、子供たちの気持ち、別れた夫の気持ち・・・・人生で関わった様々な人たちの感情のすべてをこの胸にリアルに感じることができました。私との関わりで生じた愛しさ、悲しさ、寂しさ、苦しい気持ち、心配してくれてきたこと、つらかったこと・・・全部がハートに入って来た時、私は家族や友人たちすべてに私が彼らをないがしろにしてきたことを謝りたいと願い、そしてそれでも私を関わり続けてくれている彼らにはもう感謝の気持ちしかありませんでした。
日本に戻ったらまず家族と会いたい!愛しいみんなに会いたい!と思いました。実家に行くと、母に泣いて謝りました。父母が私に費やした労苦をしっかり味わいましたらそれしかありません。他界した父には直接思いは伝えられませんが、仏前で感謝しました。母は涙し「そんなことは何でもない」といい、「生きていてよかった」と喜んでくれました。そんなことひとつで親というのは幸せを感じることができる、そのような偉大な存在なのです。
仙台で中学時代から青春を共に過ごした友人たちの顔も急に見たくなりました、遠いこともあってずっと疎遠になっていたのです。迷惑をかけた高校3年の担任の先生にも直接会って謝りたくなりました。


過去は忘れているようですべてしっかりと私の中にありました。自分の行いを消すことはできません。つらい過去も楽しい過去も消しゴムのように消すことはできません。封印しても意識や体の中にしっかりと残って私たちに作用を及ぼし続けています。それが障害となってあらわれることがあります。ここで苦しい過去こそが、本当の意味で消化され昇華した時に宝物に変わることを感じました。私たちは10年前の出来事ですら、いまだに苦しむことが可能なのですから、重い荷物をしょって人生を歩いているようなものです。それを向き合うことで手放す必要があります。ディクシャはそれを助けてくれます。そして人生が円滑になります。


これから出来る限り、いろんな人たちに会って直接ありがとうをいえたらよいなと思っています。
かつてのバンドやってた友達にも思わずメールしてしまいました。かなり昔、彼が東京に引っ越す時、本気で悲しかったのですが、泣くことをがまんしてしてしまいました。そう、私はいつも泣くことをがまんして生きてきたのです。「泣くものか、負けるものか」と力を入れて無理して生きてきたのです。もう、人前で泣くことも恥ずかしくなくなりました。「その時の感情を今解放して泣いてます!サンキュー!」とメールしたら彼は私が本気でぶっ壊れたことを喜んでくれました。昔エキサイトしてスタジオの機材を壊し弁償したことが懐かしいです。そう、私たちは既存の自分自身をぶっ壊したかったんだ、これから私は別の形で、息苦しい世の中をぶっ壊すことができたら本望です。

・・・・とそんなわけで、私がいかにたくさんの人たちに支えられてきたか心から実感できたこと、私たちが共に生きる意味をしっかり自分の中にとらえられたことは生涯の宝となりました。
感謝はできている、とたかをくくってきましたが、本当の意味で相手の痛みを知ることが私に真の謙虚さや感謝をもたらしてくれたのだと思います。

覚醒への道 (インドにて)④

私はよく知りませんでしたが、ワンネス・ユニバーシティでは覚醒には「5つの条件」をクリアしなければなりません。

私はコース中にクンダリーニが今までになく完全覚醒して太く通ったことや場所のエネルギーが良いことも重なってか、様々なインスピレーションが降りるようになっていました。
不思議と同じ部屋のみんな(日本人だけの部屋で10人くらいでした)が私が夢にでてきたといいます。
千葉さんと空を飛んだ、とか、パン屋で私が裸になっており、自分も服を脱がされた、とか、覚醒して髪の毛が金髪になっていた、など。
楽しくて私も感じたメッセージをどんどん伝えるようにしていました。
次第に至福の気持ちも増してきてマインドも静かで「もしかしてもう覚醒したのか」とも思いましたが、何か足りないことは漠然と感じていました。

何と最終日から2日目にその覚醒の5つの条件の話があり、私は愕然としました。
毎日瞑想の中でのことや自分の変化を日記につけていたので4つの条件は早々クリアしていました。
ところが、クリアしていない条件がただひとつ残っていたのです!
これが物足りない原因だったのでしょう。
それはブッダやキリストのような救済者がいる世界に入れることです。
そこは真剣に人類を助けようとする者だけが入れる場所なのです。
私がそこに入れない理由は自分ですぐにわかり、胸を鋭いナイフで突き刺されたかのようでした。
そう、私は自分の覚醒のことばかり考えており、他の仲間の覚醒のことは全く頭にありませんでした。
表向きはともかく心からみんなのことを考えてはいないことは明らかでした。
この時も本気でうなだれました。結局まだ自分のことしか考えていないのか、と・・・もうだめだと思いました。

それからテンプルでの儀式と瞑想がありました。
未来のビジョンをみました。世界が素晴しく変っていくことも。日本から何かが広がることも。自分の未来や役割もみました。
その時、ふと部屋のみんなの顔が浮かんできました。
私を助けてくれてきたみんなの顔。
沈黙を守るようにはしていましたが、時折みんなで言葉をかわし、まるで旧知の仲のように感じてきました。
優しい暖かいエネルギー・・・・。
このひと月、乗り切ってこられたのもみんながさりげなく自分を支えてくれていたからです。
覚醒までいきそうでいけない時に、メッセージが降りてきたからと夜中の3時に起きて私のためにディクシャしてくれた方もいたのです。
そして強烈な感謝の感情が体に湧きあがりました。
「みんなを一緒に覚醒させてください!神様御願いします!」みんなの覚醒や神実現を心から叫ぶように祈りました。
その瞬間!
私の体は遠い遠いところにある強烈な光に一気に吸いこまれていきました。


それは今だかつて味わったことのない歓喜の世界でした。
もう感動と歓喜と至福でただただ泣きさけぶしかありません。
まぶしくて顔も上げられず、ブッダやキリストやヨガの聖者たちがいて、私はありがたさにひれ伏して号泣していました。
私が過去生で教会にいた映像や大きな寺院で大勢で修行している僧の姿がみえました。
気がつくと私が祈る時に聖なる存在にイメージしていたユクテスワという偉大なヨガの聖者の足が目の前にありました。
私は足もとにひれ伏し、拝むために彼の足に触れると、体に電流が鋭くびりびり走りました。彼は「あなたが私を呼んでいたことは知っていたよ」と私の頭をなでました。

今、いまいち神々の存在の実感がない、という方もいるかもしれませんが、私もそうでした。
今回のことで、神々は私たちをしっかり見てくれているのだ、とわかりました。

私が心根を変えた瞬間を神様も待ちのぞんでいたのでしょう。

今年2月のトレーナーコースから帰る時、私は日本担当のキランさんに「またきます」という言葉が自然と出ました。そして再び行かなくてはならない気がしていました。タロットで行くべき月を占うとどの月でもOKと出ます。
バカヴァンが「いつでも来なさい」と言っているようでした。ひと月の休みを作るハードルは高いのに、何もかも整っていきました。

そして今回、最後4回目のダルシャンの後、「もう実際のバカヴァンと会うのは最後だ」と感じました。ここに来ることももしかしたら最後なのかもしれないと・・・・・。
そして、テンプルでの瞑想で大きな写真のバカヴァンの目を見ていました。「贈物をあげよう」と彼が言います。「覚醒ですか?」と私が聞きます。違うようです。ヴィジョンが浮かびそれは私が待ち望む出会いのようでした。
コースでひとつの名字が降りて来ているので、もしかしたらその方かもしれません。
そしてバガヴァンが「さあ、もう行きなさい」と言います。「与えるものは全部与えたから前進しなさい」と。

私にとってこのひと月は生まれ変わりのようでした。
自分の人生を振り返り、自らのエゴをまざまざと見た時には地獄の思いも味わいましたが、同時にそれは祝福でもありました。
バカヴァンのところから去りがたい気持ちで達成感と同時に寂しさが胸に広がります。

でも飛立っていかなければなりません。

覚醒への道 (インドにて)③

私がワンネス・ユニバーシティの好きなところは各国からいろんな人が集まってくる面白さです。今回も欧米、アジア、北欧、南米・・・二十カ国くらいからの参加者が老若男女構わず一緒に同じクラスを受けて過ごします。個性豊かな仲間たちです。
言葉は通じなくても共に笑ったり泣いたり・・・それは素晴らしい時間でした。
みんな私に大切なものを教えてくれる先生たちでした。


その中でも印象深かったニュージーランドから来たリサの話をします。


初日の書類を提出したりお金を支払う受付の時です。人で室内がごったがえしています。何と手違いで私の名前は申し込み名簿にありませんでした!
キャサリン(受付の女性)が困って日本担当者に連絡しますが通じません。パソコンを渡され自分のメールアドレスを入力するようにと言われました。検索をかけるためです。メールアドレスを打ちましたがうまく入りません。
時間は経過するしまわりは自分のことで精一杯、焦って誰かやり方を教えてくれないかと若い外人女性に声をかけますが、「忙しいの」と言われてしまいます。
すると50代くらいの背の高い西洋人女性が「どれどれ?」と見てくれました。結局うまくいかず、もう一人の受付の男性に御願いして無事受付をすますことができましたが、これがリサとの最初の出会いです。


数日後、初のダルシャン(バガヴァンとの会見)がありました。テンプルに行く時は白い服を着るようにいわれていたのであわてて着替えてくる人が多かったのです。
テンプルに向かうバスの隣りに席に座ったのがリサです。
買ったばかりのインドのズボンでまだヒモが通っていません。早くしなきゃ!というので私がゴム通しを手伝いました、テンプルに着くまで無事貫通しました。
私は少し恩返しできたような思いでした。
そんなわけでクラスの中でもリサ(この時は名前を知らなかった)が何となく目に入るようになりました。

リサはすぐ行動します。
インド人のおばさんがバスに乗ってくるとすぐ席を立って譲っています。みんなのために椅子をさっと片付けたり、人に手を借したり、具合の悪い人に寄り添ったり、それがリサなのです。


その日は「自分に愛がないこと」を内観する日でした。
儀式でそのことを瞑想した後に自分のタイミングでシュリムリティ(写真)からディクシャを受けます。
私は瞑想は深くありませんでした、「確かに愛はないなあ・・・」くらいの表面的な見方しか出てこなくて、そのままシュリムリティからディクシャを受けに行こうとと思いました。
すると瞑想の中でバカヴァンが「100回げっぷをしてから行きなさい」と言ってきました。
エネルギーが上ってるとげっぷが出やすくなるので、わけがわかりませんが、その通りに100回げっぷ!をしてからシュリムリティのところへ行きました。
すると人が並んでいて私はリサのすぐ後ろでした。
その時、横の方でシュリムリティからディクシャを受けていた太った女性が倒れました。

シュリムリティからのエネルギーが強いので倒れることは珍しくありません。
私は、ダーサジ(僧)にその時は起こしたりせずそのままにしておいて下さいと言われていたしなあ・・と思って、自分の順番の方が気になり、倒れた人を見ていましたが動く気持ちになりませんでした。
ところがリサはすぐダーサジを呼びに飛んでいき、太った女性を介抱しようとします。

彼女には自分のことより人のことなのです。
と同時に私の中ではマインドが働いて、私も加わった方がよいかな、と介抱に加わりましたが、それは雲泥の差でした。

人を心から助けたくて行動するリサと、マインドの計算で「人としてこのあたりが無難かな」と行動する私。
私は愛のない自分をしっかりと体験しました。
その後、シュリムリティからディクシャを受けましたが、バガヴァンが「これがあなたの真実なのだ」とはっきり言いました。
私は自分の情けなさと愛のない悲しみで喉がさけるくらいただただ号泣してひれ伏しました。
このような状態を味わったら神様に「私を愛のある人間にしてください!」助けを求めるしかありませんでした。
こんな自分のままでこれからの人生どうやって生きていけるのだろうと思いました。
悲惨ですが、これは大きな体験となりました。
これまでは自分を普通に愛のある人間だと勘違いしてきたのですから・・・真実をみることはとても大切なのです。

私はリサの存在に心から感謝しました。
いつか機会があったらリサにありがとうを言いたいと思いました・・・・。ところが、4週はあっというまで、プロセスにいっぱいいっぱいな時が多く話しかける機会を得られないままコースは終わってしまいました。

神様はすごいです。出発日の朝、私は一人朝食をとっていました。するとリサが一人で来て広いダイニングにかかわらず、ひとつ目の前のテーブルに座りました。いつも誰かと一緒でなかなか声がかけにくいのですがこの日は一人です。「あ、チャンスかも」と思っていると、彼女は何を思ったか、私の隣りに急に席を移動したのです。

話しかけるタイミングをうかがっていると、同じテーブルにいたマレーシアの人が一緒に写真を撮ろうといって私たちは写真を撮ることになりました。
私は席に座ろうとするリサに言いました。
「私はあなたの名前がリサということを知っているの」(私たちは自己紹介もしたことがなかったし人が呼ぶのを聞いて覚えただけでした)
というともう涙があふれて何も言えなくなっていました。
泣きながら必死で「このコースであなたの存在は大きかった。いつも人を助ける姿をみていました。あなたは慈愛にあふれている素晴しい人です、私に教えてくれてありがとう!」と拙い英語で伝えました。
彼女は「OH〜!」と目を丸くしてしばらく感動していました。
「実は、やりすぎて時には自分を傷つけてしまうこともあったのよ・・・・・」
「私たちみんなに新しい、素晴しい時代が来ることは間違いないわよ!」
再び私たちは写真を撮りあい、何度もハグしました。
コースの始まりに出会えて終わりに出会えて、信じられませんでした。


彼女はニュージーランドクライストチャーチ地震で神の名を唱えたら壁がそこだけ崩れずに助かった人でした。
ダーサジは、人間関係が整い、神とつながっている人は助けてもらいやすいと言っていましたが、彼女ならそうなのだろうと感じました。

神様は必要な人たちを必要なところで出会えるようにしていてくれている。
家族や友達・・・それは私たちの普通の人生や生活においてもそうなのだ、と確信しました。
そしてそれは宝物なのです。

覚醒への道 (インドにて)②

南インドにあるワンネス・ユニバーシティでの合宿生活は、私にとっては快適です。
ホットシャワーが使えるし、ダイニングでは一日三食おいしいベジタリアンカレー、ヨーグルト、フルーツなどがたらふくいただけます。
大きな部屋に15人は入るでしょうか、それぞれベッドや収納があります。コース中は休みなく朝から晩までクラスがあり、週に一度軽い断食があります。洗濯機はありませんので、クリーニングを頼むか自力洗濯で、今回初めて手に絞りマメができましたが、インドの山生活に比べたら大変過ごしやすいと感じます。
今回は日本人だけの部屋でした。エアコンの温度ひとつとっても各国民で過ごし方が違いますので、楽だったかもしれません。

さて、コースが始まりました。そして日々自分の内側を観ていくうちに、覚醒したいという思いの裏側にある「人に認められたい」「人より上に立ちたい」という自分の姿が浮き彫りになってきました。所詮その程度なのか・・・と大変落ち込みました。
しかしもっと観ていくと、それでも覚醒したい、解脱したいという純粋な思いがありました。それは生まれた時から自分の中に在るどうしようもない孤独感、分離感、大いなるものから引き離された悲しみのようなものを何とかしたいという思いとも重なっていました。


週に一度、聖者バガヴァンとのダルシャンがあります。直接質問に答えていただけて一緒に瞑想することができます。
私は思い切ってその分離感やどうしても覚醒したいという思いについて質問してみようと思いました。コースには各国100人近くの人が参加しており質問が取り上げられるかはわかりません。私は一番後の列にいました。
ダルシャンの最後の方に、私の名前が呼び上げられ、バカヴァンに立ち上って挨拶しました。
彼は、こちらを見てにこりと目が合った時、「この人は私のすべてを知っている」と直感しました。
全知全能だという感覚がありました。まるで生まれる前から私を既に知っているかのようでした。
質問の答えはシンプルでした。
「あなたは候補者の一人ですから、私が覚醒させます!」 その場にいる全員が息をのんで私を一斉に振り向いてみているのがわかりました。しーんとして時が止まったかのようでした。
私はバカみたいにガッツポーズをして「サンキュー!!」と叫びその後涙を流すことしかできませんでした・・・・・。とうとう私の願いは叶うのでしょうか・・・!

その後、バカヴァンとの瞑想がありました。
ダーサジ(ワンネスの僧の呼び名)がその瞑想の時に自分が得たいものを視覚化してください、それは実現に向かいます、というので、私はやる気まんまんで、次の家のことや仕事の展開やパートナーとか、克明に思い浮かべるつもりでした。

ところが、さあ、瞑想が始った途端、いっさい何も浮かんできません。全くの空白です。次第に私のマインド(思考)はあせってきました。「瞑想の時間が終わってしまうのに!」
その時です。胸に向かって強烈なエネルギーが入ってきました。
さっきのバカヴァンです。
目が合った時の慈しみのまなざし、それは私の存在すべてを受け容れ無条件に愛するエネルギーでまっすぐと私に届きました。そしてあの言葉は私に化学反応を起こす言葉でした。
何を私にもたらすかよく知っていてかけられた言葉でした。
それが一瞬で理解できました。
この人は私を100%わかっている・・・・どうしようもない状態の私を理解しそれでも愛している。
胸からその愛の光が爆発していきました。
なんとも言いようのない、至福な状態です。
「私がこの人生でずっとずっと望んできたもの、渇望し得られず、ずっとずっと苦しんできたもの、それは「愛」以外の何ものでもなかったんだ」「愛しかなかったんだーーーー!(叫び)」
ですから、物質的な家とか人はいっさい浮かんでこなかったわけです・・・。
そして「今度はあなたが伝えなさい」とバカヴァンが言います。
涙と感動のうちに瞑想が終わりました。

ところが、感動がおさまり、思考が働いてくると「かといって私はまだ覚醒もしてない、愛のない状態の私がどうやってそんなことができるのか?それに覚醒だっていつできるのというのか・・・」などと考え始めました。
まわりの人はもう私が覚醒したかのように喜んだりはハグしたりしてくれたのですが、まだ得てもいないし、どうなるかわかりゃしない・・・・と思うと不安になりだんだん歩く足取りが重くなっていくのでした・・・・。

その後、すぐテンプルで儀式と瞑想でした。
瞑想で、地球を遠くからみていました。
バカヴァンが私の不安を見透かしたかのようにいいました。
「それはすでに計画されたことだ」
ですから、私の知ったことじゃないのです。
いつ覚醒できるかは、神々だけが知っている。そして私は知る必要もなく、ただ委ねるだけでいいのです。

とはいっても・・・目覚めていないから思考と不安の嵐です。
ここでどのくらい委ねられるかためされていると思いました。小さな自己ではなく大いなるものに委ねる、それを実践することは想像以上に苦しく大変なことでした・・・。(続く)