怒涛のごとき、ゴールディンウィーク

4月26日、「さあ、ゴールディンウィークの始まりじゃ!」と出勤だった会社をそそくさ退出し、帰省。


27日は一関にある樹木葬の見学会に申し込んであるのだ。
お墓はどうするか、父と生前さんざん話してきたが、どこぞにお墓を新しく買って建てるというよりも、どうも、散骨やら樹木葬というのがいろんな土地を転々とし跡継ぎもいないジプシー・一家にはふさわしいのじゃなかということになっていた。
翌日、訪れたのは、美しい厳美渓からさらに入ったところ。
本当にのどかで静かな山里でした。
そこの住職さんの印象、そしてお話を聞いても、私たちには何の違和感もなく、母と姉、三人の意見が一致して、そこにお願いすることに即決しました。
調べると樹木葬を行っているところは関東にもあり、お墓参りはしやすいと思ったけれど、私たちの中に眠る「岩手の血」「東北の闇」を思うと、岩手の地に眠ることがふさわしいとしか思えなかったのです。
「じゃあ、納骨をいつ?」となったところで姉が仕事の関係でしばらく帰省できないとのことで、「じゃあ、明日」と決定。


翌日も朝から東北自動車道をお骨を抱えひた走ることに。
植える苗木もさんざん迷った末、ミヤマツツジに決めました。
ムラサキのような、マジェンタ色。
豪快そうに見えて、日常の小さなことにも心遣いを怠らなかった父を表しているような気がしたのです。
穴を掘ってもらって、そこに骨をみんなで埋め、上にひょろんとしたかわいい苗木を植えました。
「死んだらお山に帰る」
私たち家族のDNAに沁み込んだ感覚。
「ああ、よかったね、お父さん、土に帰って安心したでしょう」
山や畑や庭仕事が好きだった父も喜んでいるようでした。
カエルがげこげこ啼く中、私たちは帰りました。
美しい厳美渓
ヤマツツジ
死者眠る里山



その翌日は手続きやら遺品整理やお掃除やらで終わり、その次は四十九日です。
父の生家のお寺を目指し、また朝から東北自動車道へ。
私も次から次へと押し寄せる用事をこなそうと、ぶんぶん飛ばします。
親戚も迎えに行かなくてはならないし、その前にそこの市役所にも立ち寄らなければならないし・・・。
「いくぜ!ベイベー」とかつての私の暴走魂にも火がつきます(笑)
しかし、あっと思ったときは覆面パトカーに誘導される羽目に。
かろうじて免停にはなりませんでしたが、罰金の額にへこみつつ、「何で高速道路なのにスピードだしていけないのかよっ!」などとクサクサとした逆恨み状態に陥っていました。
そこへ第二の事件、法要や食事を済ませ、親戚の家に向かおうとしたその時。
前の車が本屋に左折して入るので、私もスピードを落とし停止しました。
と、後ろから衝撃がっ!
おかまをほられる、というやつでした。
相手の方は営業車で助手席のカバンが倒れたのに気を取られ気づくのが遅れたとのことでした。
警察に連絡すると署まで来てくださいとのことで、再度警察の厄介になることに!
うちの車の後ろはべっこり無残な姿。
幸い、同乗者に怪我がなく、ぴんぴんしているのがせめてもの救いです。
その日は次々起こる惨事?に疲れきって帰宅しました。


しかし、そんなことにめげてもいられない。
翌日も早朝から片付け。
そう、実家は捨てない主義の父と買い物好きの母、いつのまにか恐るべきゴミ屋敷と化していたのです。
物置には二階があり、そこもさらにがらくたの山、山です。
しかも、父が死後夢に出てきたのは1回だけですが、「片付けろ」とのことでした。
昔から「頼むから二人が生きているうちに私の仕事を減らして!」と冗談言っていましたが、やっぱ私の使命のようです。(泣)
さあ、ゴミ袋を何回運んだことでしょう・・・・。
海の水を掬って捨てているみたいな気がして時々気が遠くなりました。
今日は用事があり東京へ戻りましたが、私は片付けセラピーやりたいな、と思いました。
作業しているうちに何していいのかわからない、どう生きていいのかわからないから買い物で気を紛らせている母の心理状態が手にとるようにわかったのです。
明らかに外側同様、内側も混乱しているのです。
順に外側から整えて気持の整理をしてもらえたらいいなと思います。


そんなわけでまだ連休なかばですが、どんどんいろんなことが起こり、過ぎ去っていくのでした。