修證義

修證義

父は生前、戒名は生家が檀家となっている北上にある称名寺の住職さんにつけてほしい、ちょっと場所は離れているが都合がつくならば葬儀もお願いしたい、ということを言っていた。
住職さんも代替わりしているようで、私としては、「修行もしてないビジネス坊主じゃないのか?」とイジワル目線でチェックしたい気持ちもあり、帰省早々、母と北上市まで高速を飛ばしてご挨拶と御願いに伺ったのだった。
幸い、通夜にも葬儀にも来て下さるとのことで、戒名も御願いできた。
その時「どんな方でしたか?」と住職さんに聞かれたのですが、とっさに私の口から出たのは「頑固で変わり者でした!」というひとことでした。
帰ってから姉に話すと戒名に「頑」とか「固」とか入ってたらどうすんの??という話になって、私も本当は優しい人だったのだからもっと褒めたたえるようなことを言えばよかったとひどく後悔しました。
よっぽど電話までして父の長所を申し上げようかと思ったくらいでした。
ところが、住職さんは私の申し上げたかった意を確実に汲んでくださり、本当に父にぴったりの、本人もおそらくうれしく思うような戒名を付けてくださったので皆で喜びました。

御通夜の際、住職が唱えたお経「修證義」の説明をしてくれた。
聞いているときから、何だかぴんと来た私は質問を幾つかしましたが、真摯に答えていただきました。
葬儀後の会食の席でもインドの話や古事記の話が出て、私はとても楽しかったのです。

帰ってから仏壇を見ると、おばあちゃんの代から使っている曹洞宗のお経が置いてあり、ぱらりとすると、白い紙がはさんである。

これは亡くなった祖母か父かどちらがはさんだのかわからないが、そこには「修證義」の文字が!

これは!祖先からの私への必要なメッセージか?と思い、それ以来朝晩唱えているのです。
これが、なかなかすばらしい。
第4章の発願利生あたりでじんとくるし・・・ぴいんと背筋も伸びてくる。
住職の言葉「死者のために祈ることで生きている私達こそが救われるのです」という意味が感じられます。

49日は現代は皆忙しく、便宜的に葬儀に一緒にやってしまうが、それはあくまで準備に過ぎない、死者が本当に旅立つ日は非常に大事なのだ、というお話もいただいて、家族だけで本来の49日は法要にお伺いすることになった。
そうだよね、49日こそが死者にとって本番なのだ!

よい住職さんでよかったね、それも父ちゃんの徳のひとつかな、と思うこの頃です。