鶴の心配、亀の心配

毎朝行く三嶋大社ではこのところ、ご神池の水をすっかり干しておりました。
鯉は一箇所の水たまりに集められていましたが、そういえばずっと沢山いたはずの亀の姿を見ていない!ことに気づきました。
「そうか!亀は冬眠するからいないんだ!」と納得したものの、土の中にいるのか、どこにいるやら・・・・。
「一体亀はいずこに・・・なんぞ困ってなければよいが・・・」と心配してたら、昨日、やっとご神池に水が戻り、石の上には本当に久しぶりに数匹の亀の甲羅干し姿が見られました。
「おお!おかえり〜!」
冬眠から目覚めるのがこんなに遅い今の時期なのか??亀の生態は全くわかりませんが、とりあえず胸をなでおろしました。


そして池を干している間に、数日間、ツルがたったひとりで遊びに来ておりました。
あのツルですよ!写真撮れなくて残念、結構大きいです。
わずかな水たまりに足を一本にしてただ、立っています。
ずうっと立っています・・・・。
たったひとりで??(笑)
何を思って立ってるんだろう?これからひとりでどうやって生きていくんだろう??などとお節介なことを考えておりました。
だってしょっちゅう見かけるカモはツガイで結構いちゃいちゃしたり、ファミリーで移動しているじゃないですか?鶴は個人行動なの??渡り鳥なんだっけ??
また心配になる。


鶴も亀も、「おまえに心配される筋合いではない、自分たちは自分たちなりに命をまっとうするから大丈夫だよ」と言うでしょう。
そう、世界は誰も私なんかを待ってやしない。私を求めてもいない。
私が存在しなくても森羅万象、当たり前のようにすべてがまわっていくでしょう。
それでも、業(カルマ)ゆえに、生を受けた私は意志し、行為し、をつづけなければならない、永遠に何かを投げ続けなければならないのです。
「早く終りてえ!」のが正直なところ。
よく前向き、といわれますが、それはただ終わりたいからだけ。
そのためには自らの中の最善のものを投げ続けるしかないのですから。