父 帰る

父が退院し、週末は久しぶりに家族が揃った。

思えばここ数ヶ月、あっというまに衰弱していく父に驚きの末期がん宣告、それから本人を含め家族は死への準備に追われ、ばたばたと暮らしてきた。

私もこの事実を冷静に受け入れようと覚悟を決めつつ、正直時々は、死神の前にたちはだかり「とうちゃんは渡すもんか!」と通せんぼする気持ちにもなりました。(アニメでは川崎のぼるタッチ)
「どんなことでもしますから!」と神様の足元に「どひゃぁっ」と突っ伏すような気持ちにもなりました。
これはきっと家族みんな同じ気持ちだったと思います。

幸いお医者さんも「やってみなければわからない」と言っていた抗がん剤治療が効いて、がんは縮小。

もちろん完治したわけではなく痩せおとろえて痛々しく感じることもあるけど、ぱくぱく普通にご飯を食べている姿を見ると何事もなかったかのようでもある。
死の淵まで行って底を眺めてから3〜4歩退いたかのよう。
父も自分で「いつ本番が来るかわからないが、第一次予行演習は終了」と言っていました。

今回は再びみんなで食卓を囲むことができてしあわせでした。

ところで、私達は父にすべての判断を委ねて生きてきた母に、これを機会にしっかりしてほしいと思っていました。
自分の頭で考え自分で行動できるようになってほしいと・・。

でも読んでいたヨガナンダの本に「インドのお母さんは人生のほとんどを家族のために生きる(毎日食事を作ったり世話をしたり心配したり)、だから彼女のことはみんなで考えてあげるのです」って言葉があって、はっと思いました。
自己実現、なんてことが頭にみじんもなくて、家族の幸せだけを望んで奉仕してきた人生、それはそれですばらしい。
みんなで考えてあげる・・・・うん、それでもいいのかもしれないって思った。