修行と労働

最近、庭仕事や雑巾がけなど、汗をかいて労働することが非常に気持ちいい。
あとは修行の時間があれば、何も要らないかなあ・・・・と思うようになった。

インドでは「四住期」という考え方があります。
人生には四つの時期があるというのです。

20歳までを勉学に励む学生期(がくしょうき)。
40歳までを家庭で家族と過ごす家住期。
60歳までを家を出て林の中で自己を見つめて暮らす林住期。
たまには家へ戻るみたいなので聖の世界と俗の世界を行ったり来たりする感じなのかな。
それ以降、完全に家を捨て放浪の旅にでる遊行期あるいは遁世期。
これは共同体や家族のもとに帰らない。
本当の聖者になる道。かつての仏陀のように。

インドでは神を求め生きることがたぶん昔は普通のことだったんだね。

ある時期になったら、社会の歯車としてはもう働かない。
これいいと思う!
貴重な人生の時間のほとんどを衣食住を満たすためだけに働くことからは・・・時期が来たら切り上げたい・・・・・。

世間のおおかたの人は「会社辞めてどうやって生きていくの?」と言うけどさ。
あたいは頭をしぼって考えたいと思うのさ。
必要だと思い込んでるもん捨てればいいんじゃないのか・・と思ってる!

ある人は立派な家と立派な車を維持するためには最低限、月○○万円の収入が必要なのだそうだ。
そのために朝から晩まで自分をすり減らして働き続ける。
ため息をつきながら疲れの取れないからだをひきずって毎日会社へむかっている人も多いのではないだろうか。
それをごまかすためにパチンコやったり飲み歩いたりしている人もめずらしくない・・・・・というか現代ではふつうなのか!

現在私は家住期なのか、年老いていく両親、まだ思春期の子どもたち、家族が大切です。
ちょっと前までは「自分」にばかりフォーカスしていたけど、何だか知らないけど、もう、「自分様」はどこかへ行ってしまった。
何であんなに「じぶんじぶん」って思ってたのかが不思議なくらい。

ゆくゆく林住期移行して文字通りの「隠者」になりたいよ。
できればその先ついに放浪の旅に出てどこか遠くの旅先で亡くなり風化したい。
夢みたいなことじゃなくてね。