むかし

そういえば、私は引きこもりでニートだった。
20年以上前のことなので、当時はそんな言葉も存在しなかった。
社会現象として周囲が考えてくれるようなことも全くなくて、立場は「ただのろくでなし」です。
大学から足も遠のき、きちんと働く意志も全くなかった。
どうしてそのようになってしまったのか自分でも非常に苦しかったけど、どうしようもなかった。
ついに父ちゃんに勘当されました。


私は住むところと、食べ物を確保しなければならなくなり、結婚しました。
本当はただうまく居候しようと思ったんだけど、それなりの自覚と責任を負え、ということになったのでした。
もちろん愛情がなかったわけではない。
あの時、ホームレスにでもなる覚悟があったら、違っただろうけど、やはり普通の布団にぬくぬくと寝たかった。



そんなこんなで過ごしてきたのですが、ある日突然、私は働きたくなりました。
もう20代の終わり頃。
仕事の内容なんてどんなものでもいいから、「頼むから働きたい」ような気持ちでした。
子供も小さかったので、寝かせてから家の人に頼んで出掛けられる夜8時頃からできる仕事を探しました。
当時、姉に電話して「マクドナルドでバイトしてみようかと思うんだけど、できるかなあ」と相談すると「高校生でも働いているから大丈夫じゃない?やってみれば」と言われてやってみました(笑)

働いてみて、やっぱり最初、オーダーを英語で通す、というのがくじけそうでした。
だって・・・何の意味があるのかわからない。
日本人同士が「ツーテリ(てりやき2つ)、スリーポテト、プリーズ!」とか「サンキュー!」なんて言い合うなんて・・・。
34個なんて言われたら、とっさに英語で出てこなさそうだし・・・。

態度の悪い客に逆ギレして年下の店長に怒られたり、自分がかなり手際の悪い人間だと自覚したり、それなりの挫折もありましたが、何とかしばらく続けることができました。



その後、金融会社に就職した時も、朝と帰りに創業者の写真に向かって、「お辞儀と挨拶をしろ」というのも意味がわかりませんでした。
尊敬してもいない人の写真に頭を下げ、決められたセリフで挨拶するのだ。
父に、「みんなやってるけど、意味がわからない」と言うと、「給料の一部だと思え」と言うので、言われたとおりにやって、とりあえず働いてみることにしました。
ここは、シアワセじゃないところでした。
このあいだ、この創業者が何千億のお金を残して亡くなったが、たぶんシアワセではなかった。
新聞で私が朝夕頭を下げてた写真見て、「ムナシイよね・・・きっとわかったよね」と思った。



本当に意味のあることと、幻想にすぎないこと。
本当に正しいことと正しくないこと。
世の中にこの二つしかないとしたら・・・
もう・・意味のあることしかやりたくない。
これをやってたら、社会では生きにくいのかな。

いや、そんなことはないだろう。