ことばたち

ブッタのことばに「ものおしみをするな」っていうのがある。
訳のセンスだけど「ものおしみする」(慳みする、とも書く)って「けちけちする」よりも、より執着が多くてセコい印象がある。
だから、自分が自分の持っているもの(お金やエネルギー)を出し惜しみしてしまうときは、「ものおしみするなぃっ!」と思うようにしてる。
エゴはつい「自分のものだ」と囲い込みたくなるから。
「何も要らないんじゃ!はきだせ、はきだせ、きれいにしろい!」と言い聞かせます。



昔教えてもらった祝詞の中に「大功徳垂れさせ給え座ませ(たまえましませ)」  ってことばがある。
どうか、功徳を積ませて下さい、ということだと思うけど、
「功徳を垂れる」って、いいよねえ!
日本酒をおちょこに注いであふれて「おっとっと!」みたいな。
思わずあふれてしまったわい、というくらい、なみなみしているというのは。
 「功徳」  「慈愛」  智慧  も。
そのくらいでなくてはならないのだね。
あふれるくらいあれば、どんどん人に分けられるし、次から次へと湧き出てくるように、なりたいものです。



私は今、渇いたぞうきんをしぼるくらいしかない・・・・。
そのくせ自分には多少の智慧はあるのさ、と言いたくてしかたない。



そこで「真の賢者は、知恵のあることをどうやって隠そうかと、大変な思いをする」  (うろおぼえなのでこんな感じ)
これは本当に賢い人は、自分の賢さをまわりに知らしめようとは全く思わないんですね。
そんな必要すらない。
でも、おのずと賢さや知性や品性があふれでてまわりにバレちゃう。
「おお、それをどうやって隠したらいいのか・・・・」と思うというのだ。
げー!うらやましい。
それは経験上、本当にすごい人は「自分ですごいとは言わない」し、「あっけないほど謙虚だ」という事実からも理解できる。


そんなこんなで最近、じんじんと感じ入っているフレーズでした。