苦い思い出(たくさんあるうちのひとつ)

中学生時代のことを最近、思い出した。
あいまいな記憶の中から苦い思いが蘇った・・・・。


中学生の私は、まだぶっ壊れる前でさほどヤンキー臭もなく、優等生然としていたと思う。
「将来は教師になりたいです」と言ってもまわりが納得するような感じ。


家庭科の成績も良かった。
筆記試験はもちろん、夏休みの課題で提出した刺繍の作品で賞を取ったりしていた。
しかしそれはうそっぱち。
実はほとんどが母の手による作品だったのだ。
自分では到底仕上げることも不可能な作品を平然と提出し、賞まで取ったという、浅はかのきわみなことをやっていた。



それでも、家庭科担当のN先生は、私を認め、非常にほめたたえてくれた。(笑)
内心バツの悪い思いもあったが、「まあ、テキトウにこうやってうまくやればいいのさ」、といった世渡り上手的薄っぺらな小賢しさもあったと思う。



ところが、次の学年になって家庭科の担当の先生が変わった。
この先生になって私は「マズい!」と感じた。
不器用だけど自分で精一杯頑張って作った友達の作品を非常に感心してほめたたえ、人にやってもらった私の作品などには目もくれない。
この先生には「見える」のだ、と思った。



ある時ついには、「あなたはN先生の時は評価が良かったのよねえ〜」としみじみと、ひとこと言われた。
これは「あらまあ、N先生にはあなたの底の浅さ(うわっつらさや労を惜しむ感じ)がわからなかったのねえ〜」と聞こえた。
この先生は当時の私にはあまりにも都合の悪い存在だったらしく、名前も顔も憶えていないのだが、あの時感じた「見破られた」敗北感はありありと残っている。


もう二度とあんな恥ずかしい思いはしたくない。
「うまく」生きる必要なんて全くなかった。
みっともなくても不器用で笑われても、自分でこつこつやるよ。