誰かが自分を救ってくれるのか

この間、実家へ帰ると、仏壇に知らないおじさんの写真が飾ってあった。
姉と「げー!何だ、こりゃぁ〜」と騒ぐ。
母の尊敬する??病気治しの霊能者の写真だったのだ。
父ががんの再発で手術し、母としては「わらにもすがる」思いだったのだろうが、「ご先祖様を祀る仏壇に、知らない(私達にとっては得体の知れない)おじさんはないだろう!」と姉と嘆きあった。

真理を理解しないで行う安易な他力本願。
占いや精神世界にもよくいる依存型だ。
「誰か(カリスマ様や占い師、霊能者)や何か(の団体)が私を何とかしてくれる」
「誰かが大正解を教えてくれて、その通りに生きればよいのだ」と考えたい人たち。
そりゃラクだわなー・・・・・。
占いとか、ああいったものを有効利用できるには精神的自立が必須項目のような気がする。

私は自分が信頼できると判断した霊能力のある方に鑑定していただいたが、案の定、私の背後にいるらしい存在たちからは、大正解なんて教えてはもらえなかった。
むしろ、ダメ出し・・・・すんません(涙)
私が自分で為すべきこと、体や頭を使って苦労しなければならない課題はきちんと取っておいてくれているのが、正しい導き手なのだ。
それなくして魂の成長はありえないのだから。

でも人間というもの、楽して物質的成功(=みんなが勝手に信じてる幸福のイメージ)を手に入れたいものらしい。
正直私もずっとそんなもんでしたが。
新聞や週刊誌、テレビを眺めると、目的って痩せることと金持ちになることだけなのかい?と愕然とする。
実はみんな単に流されているだけで本当は違うってことを感じる智慧はあるはずだよ!
なぜ、修行するかって??
実はこっちが真の幸福への最短距離だと身に染みてわかったから。
身なりを整えることに必死になったところで、この肉体も百年もてばいい方で、どんなにお金や労力注ぎ込んでも醜く老いぼれてしまう。
だからこそ誰にも誉めてもらわなくてもいい嘲笑されてもいい、来る日も来る日もひそかに心をきこきこ磨き続ける。
最後に残るのは心だけなんだ。

私もこの頃、鑑定を始めましたが、自己肯定のみ望んでいるタイプへの「ダメ出し」はむづかしい。
そりゃその通り、本人にとっては「見たくないもの」「意識にのぼってほしくないもの」が、障害になっているのだから、そこに話が及ぶと、聞いているようで全然聞いていないわけよ(笑)
細木数子なら怒るな(笑)

辛くても対峙することでもっともっと変われる。もっともっともっと人は輝ける。
苦難よ、来いや!と。
自分を何とかしてあげられるのは自分以外の何者でもありません。
母にも気づきが訪れるように、私ももっともっと気合い入れて修練しなければなりません。