本当のことを知らされなかった私から 「オウム真理教と私」

占星術の話】
こないだの新月は確か私の土星の度数「仮面をはがされた男」で起こりました。
仮面をはがされた男というのはサビア占星術でその度数を象徴する言葉なんだけど、隠し事とか余計な財産とか全部捨ててすっきりする、というような意味もある。
暴露度数ですね(笑)


【本題】
昨年に、私が2年と数ヶ月、熱心に習っていたヨガ教室の師匠が、オウム真理教、のちアーレフで長年修行や指導していた方であったということを知ったことは大変な衝撃と混乱を私にもたらしました。
オウムといえば、当時テレビで見ていた奇異な映像が思い浮かんでしまいます。
マスコミの流すイメージから「私とは無縁な世界」と思っていました。
いろんな事件を起こすようになってからは、何冊か本は読みましたが、事件について考えているようでも、あくまで他人事だったのだと思います。


笑い話のようですが、けっこう前に私は父から電話で言われたのです。
「おまえの通っているヨガはオウムじゃないのかっ?」
私はびっくりして「そんなことあるわけないじゃんっ!」と腹立たしく思いながら強く否定し答えました。
すると「いいや、わからんぞ!!」とワケアリに言うのです。
そしてそのことを師匠や教室の人たちに「そんなことありえないですよね、全く!何を言っているんだか」とか何とか話した記憶があります。
バリバリオウム育ちの師匠や既に知っていて一緒に信仰を深めてる教室の人たちは私のおめでたさをさぞかし心の中で苦笑していたことでしょう。
今となっては、父の鋭い眼力に敬服しています。


中庸である、とか、真実を語る、ことは非常にむずかしい。
私も様々な思いを誰かとシェアしたい、という思いは強かったけど、まず自信がなかった。
情報やイメージや刷り込みじゃない自分の考えなんてあるのか、と。
ただの中傷とか非難とか、被害者意識とか、そんな感じにはなりたくないと思った。
ただ、ひとつ自信があったこと。
まず、「私はオウム(という名前でいうのはまだ教祖を信仰している人たち)とかかわった」こと自体がみんなあまり言いたくないでしょう?
しかも一緒に修行していたなんて。
しかし、いまさら、どんな恥をかこうが、自分にはもう捨てるもんもないし(笑)
「生き恥をさらす役割」は私でいいんじゃない?
どんどん引き受けよう!



新月が来て、仮面をはがそう!とただ、単純に思ったんだ。
仮面は自らの仮面でもあるんだよ。
そして、やっぱり「知らされない」ことはフェアではないからね。
今も知らずに教室に通っている人もいるだろう。
もちろん、教室を辞めるときに先生に看板に掲げるべき、宣言すべきだと伝えましたが、たぶん、HP見てないけど、書いてはいないと思うよ。
それまでは、自分が道を究めて真理に通暁してからじゃないと、おいそれと発言できないことだ、とおじけづいていましたが。
未熟なら未熟なりで今はいいじゃんかと。



ただ淡々と事実を語りたい。
オウムの修行法も多少なりかじったわけだし、なぜ彼らが間違ったのか、なぜ人がたくさん亡くなったのか、何かその中にヒントがあると思う。
読んで下さった方の中で質問があったらどんどん下さい。
今の私の考えでよければ答えていきたいです。


そして今私が本物のヨーガへと辿り着く過程にあるのならどんなに幸せでしょう。