父ちゃん往生

14日は東京出張で15日に東京で講座があったので姉の家に泊まらせてもらった。
姉は逆に父の看護で岩手へ帰っており、15日の朝に戻ってくる予定だった。
朝の5時頃、胸苦しくなり目が覚めた。
ちょっと前に経験したパニック発作になりかけるような、猛然とした不安感が襲ってきて、そのまま起きてしまった。
5時50分に姉から電話。
病院から連絡があり父が亡くなったという知らせだった。


私が最後に父と会った先週、前の週に帰ったこともあって初めは帰るつもりはなかった。
が、金曜日の明け方、むしの知らせというか、夢を見たのだった。
私はうきうきとぬかみそをかき混ぜている。
「そうだ!お父さんの作った野菜を沢山漬けよう!」
はりきった次の瞬間、頭上から大きな岩石が落ちてきたように、もはや父は畑をできるような状態ではなく「もう二度と父の作った野菜を食べることはないのだ!」という厳しい現実にハッと気付く。
「明日帰ろう!」


父は弱っていた。
少しでも筋肉をつけてほしくてあまり手伝わないようにしていたが、最後に帰った時はさすがに手を貸した。
今思うと、私たちの気が済むように負担にならない最低限の介護だけをさせてくれたのだと思う。
そして、今の時期姉も私も新しい生き方を始めようとしていたが、父の看護を考えると躊躇している予定を幾つか抱えていた。
「人は生きて来たようにしか死ねない」という言葉を聞いたことはあったが、まさしくそのとおり。
父は私たちの予定が滞りなく組めるような、ベストな日にちを選んで亡くなったのだった。
それが凄すぎて姉と絶句した。
まさしく家族の配慮を常に怠らない父らしい。
口の悪さと裏腹な、思いやりとやさしさ、そして強い責任感。
自分できちんと確定申告の書類を作って、還付金の額を聞いてから亡くなった。
死に顔もやりきったような満足感か、りりしくもすがすがしい。


訃報を聞いて悲しく涙を流していたが、やがて私の中に重たくも強い決意が生まれてきた。
父の生き方やその意思を受け継ぎたい。
真の優しさと強さを身につけなければ。


これから御通夜や葬儀で父ちゃんを見送る。
200%の感謝の気持ちと最高の敬意を表して、みんなで見送るんだ!